まごころ居宅介護支援事業所
POSTED.2023.12.15
最後の晩餐
今年最後の12月です。みな様、こんにちは。まごころケアマネジャーです。
この写真は、団地内の空き家を買い上げ改装し、集会所として再利用されているお宅のご様子で、毎月サロンを開催されています。今月はクリスマス会を開かれる予定とのことで、1枚撮らせていただきました。住民主体で地域のつながりを再構築されている、理想的なご近所さん同士だと感服しました。
さて昔、報道番組の中で各界の著名人に人生の最後に食べたいものを挙げてもらい
司会者が一緒に食べながら対談するというものがありました。
日々ご高齢の方と接している私としては、普段その方がどのようなことを思い感じながら毎日を過ごされているのか。仕事の上でもそうですが、人生の最終段階に差し掛かった方々のお考えには個人的にも興味があり勉強にもなると思い、機会を見て実際に訊いてみることにしています。
・初めて就職し、会社の近くにあった不二家で買ったあんドーナツを、駅から自宅へ帰る道中食べながら帰っていた。そのドーナツをもう一度食べてみたい。
・戦時中何も食べるものがなく、サツマイモの蔓を母親がどうにか食べられるようにして出してくれた、
また食べたいとは思わないが、そんなものしか子供に食べさせられなかった母の気持ちはどんなだったろうか。
・両親は大阪の中心部で使用人も雇いながら大店を営み裕福な暮らしをしていたが、空襲が激しくなり田舎へ疎開せざるを得なかった。何もない田舎でそれまでの生活との屈辱的な落差を味わい、子供たちに満足に食事も与えられなかった親としての気持ちはいかばかりか。自分としても子に食べるものの苦労だけはさせたくないと、一生懸命働いたこと。
様々な時代で様々な立場から食べることについてのお話を聞かせてもらっています。
「何が食べたいか」というだけの問いに対して、食事を通して家族の在り方やご自身の生い立ち、死生観等にまでお話は発展します。
中には、「何でもよい、好き嫌いはない」と一見食べることに無頓着なお答えもありますが
「胃瘻からの経管栄養」と極めて現実的なお答えもあり、返答に窮することもあります。
長年京都の小料理屋の女将をしてこられ、ご家庭では夫に手料理を振舞いご自身でも食べることを楽しんでおられました。
夫の他界後は、お家に来られる方に手料理を楽しんでもらい、私が担当となってからも何度か「堅いこと言わんとちょっとつまんで行き」とお声掛けをいただいていました。
その後癌末期であることが判明し一旦は緩和ケア病棟に入院されましたが、ご自宅がいいと退院され娘さんの手料理を喜んで食べておられました。しばらくして容体が急変し、救急搬送後何を訊く時間もないまま呆気なく亡くなられました。お葬式には参列できましたが何も分からず。
この方の最後に食べたいものって一体何だったんだろうと、今でも考えることがあります。
私ですか。
温かい白ご飯一膳、ふりかけやお漬物は要りません。
できれば炊き立てで。