まごころ居宅介護支援事業所
POSTED.2024.01.19
親の心、子知らず
遅ればせながらみな様あけましておめでとうございます、まごころケアマネジャーです。
年末年始はご家族お揃いで過ごされた方も多いと思いますが、COVID-19が5類に移行し久し振りに出会われたお子様やお孫様の変わりように驚かれませんでしたか。
私が担当しているご利用者様のお子様となると、おおよそ50歳代から70歳代の間です。先日あるご利用者様がお話しされた内容と言うのが、組織でそこそこの地位や役職のある子が定年を迎えるにあたり、それより先のことで悩んでいるというもの。雇用継続で肩書のない一般社員となり給与も低くなる境遇に耐えられるのか、あるいはいっそ同業他社へ転職しキャリアを伸ばそうか…。あまりに考え過ぎ、頭が煮詰まってしまっているとのことです。
あの子は小さい時から肝心な時に優柔不断で、何度も絶好の機会を逃している。私がお尻を叩かないと前にも進めない子だ。一家の大黒柱としての責任感がなさ過ぎる。と言葉は厳しいものの、そのお顔は笑顔で一杯でした。子の心配をすることは、常に人の親としての役割、性なのですね。
私が普段お出会いするのは「介護される親」、そして「介護する子」であることが少なくありません。普通のお家でごく当たり前にある状況で、少しも特殊なことではありません。ところでみな様は介護される側の人の気持ちについてお考えになったことはありますか。自分では何もできなくなり、手伝ってもらわなければならないことが情けない、あるいは申し訳ない。多かれ少なかれこのようなお気持ち抱かれることはあり、介護者に迷惑を掛けているという認識から上下関係が生まれることもあります。対価を払っているサービス事業者に対してならまだ対等な関係を維持しやすいかも知れませんが、これが実の子であった場合、仕事を抜けて病院へ連れて行ってもらった、休みの日に買物して来てくれた等、気遣いや遠慮、申し訳なさがない交ぜとなった気持ちがいくらでも生まれる素地が沢山あります。
一般的に歳が加わるに連れ大きくなる喪失感や無力感に加え、更に人に頼らなければ日々の生活も立ち行かないというお気持ちも加わり、場合によっては老人性鬱と診断される方もいらっしゃいます。義務が果たせなくなり権利を行使することもできない中で、子の身を案じることが親として最後まで残る役割なのかも知れません。
「要介護」の認定を受けたからといって、「何もできない」、「代わりにしてもらわなければならない」人になるわけでは決してありませんし、人の親であることも何ら変わりありません。ただ義務的に介護してくださっている子に、そこまで親の心情を慮ることはできているでしょうか。
その方のできることは何なのか。ケアマネジャーとして最優先に考えながら、この一年もみな様と共にありたいと思います。
今年もよろしくお願いします。