まごころ居宅介護支援事業所
POSTED.2024.03.11
つなぐもの、つなぐこと
みな様こんにちは、まごころケアマネジャーです。
3月になりました。今年は年明け早々から大きな地震があり、依然として毎日の生活に苦労されている方が多くいらっしゃいます。被災された方々には心からお見舞いを申し上げるとともに、復興に尽力されているみな様には安全に留意されご活躍されることをお祈りいたします。
13年前の今日、東日本大震災が発生しました。私は当時勤務していた職場から、災害派遣として8月に現地の災害ボランティアセンター運営支援のため10日間ほどでしたが被災地入りしました。その時の状況としては、仮設住宅が完成し始め、全くプライバシーのない避難所生活から徐々に家族ごとのある程度独立した生活へ移行するという段階でしたが、街中にはまだ建物の倒壊した残骸やとりあえず路上から撤去された瓦礫が至る所に積み上げられたまま、処分を待っているといったものでした。行方不明者の捜索、発見もある程度進み、遺体安置所として使われていた隣の体育館で変わり果てた家族の姿に泣き崩れるご遺族の方々を目にすると、私自身も目頭が熱くなったことが何度もありました。
災害ボランティアセンターの業務としては、毎日全国、海外から多くのボランティアの方々が少しでも復興の力になろうとお越しになり、その支援が地元の方の要望と合致するよう調整をするというものでした。その一方では町内の仮設住宅を一軒ずつ訪問し、避難生活の状況やお困りごと、ご要望などを聴き取り解決につなげるという、復興政策で手一杯の行政では手の届かない部分の支援も行っていました。
一度地震が発生すると、一瞬で様々なものが断ち切られてしまいます。電気・水道・ガス・通信・交通といった目に見えるものはもちろんのこと、過去と現在、家族の絆、地域のつながりなど目に見えないことにまでその影響は及びます。
仮設住宅にようやく移り住むことができ、とりあえず屋根と壁のある生活を始めることになりましたが、お隣やお向かいは知らないご家族ばかり。新しく人工的に創られた地域社会は、ご高齢の方々にとって馴染みのものが何もない異質な空間でしかありません。新しい住民同士のつながりを作る一助として、仮設住宅毎にサロンを開き、できる限り参加していただけるよう一軒一軒声を掛けて回ることも果たしてどの程度役に立っていたのでしょうか。
見えるものは材料や人手といった資源が揃えば時間が掛かってもいずれ復旧することは可能ですが、見えないことについてはそうはいきません。間に人が入りつなぐ役割を担わなければ、自然と元に戻ることはなく断ち切られたままの状態がいつまでも続いてしまいます。そのような孤立したままで被災という非日常的な重圧を感じ平然と暮らし続けられるほど、残念ながら人は強く生れついてはいないようです。
13年後と2か月後の被災地に思いを馳せながらこの私たちの地域で活動を続け、「つなぐ」という役割は正に今ケアマネジャーにも求められているのだと感じます。現地で直接支援に当たることができれば一番なのですが、復興のためにこの場から何かお手伝いできることはないかと自問自答しています。
一日でも早く新しい平穏な春が被災地のみな様に訪れるようお祈りしています。